昨年11月に発売された書籍『ビヨンド・デジタル――企業変革の7つの必須要件』では、新しいデジタル時代において変革を成し遂げた企業として世界各国の12社を取り上げている。そのうちの1社が日立製作所である。同社は、2009年に日本のメーカーとして過去最大の損失を出したことをきっかけに変革に着手。経営改革や事業の入れ替えを進め、伝統的な製造業から社会イノベーション事業に取り組む先進的な企業への飛躍を遂げた。この10年強、日立社内ではどのような議論や取り組みがなされて、変革が進められてきたのか。株式会社日立製作所執行役専務CSO兼戦略企画本部長の森田守氏と、PwCコンサルティング合同会社パートナーの井上貴之氏の対談の一部を掲載する。(構成・谷山宏典 写真・住友一俊)
株式会社日立製作所/執行役専務CSO兼戦略企画本部長 森田守氏
PwCコンサルティング合同会社/パートナー 井上貴之氏
井上:まずは、2009年に会長兼社長に就任した川村隆氏のもとで始まった御社の一連の変革について、振り返っていただけますでしょうか。
森田:変革のトリガーとなったのは、リーマンショックによる世界的な景気後退によって、日本の製造業としては過去最大の赤字を出したことです。バランスシートが大きく毀損し、経営陣が「このままでは会社がつぶれてしまう」「変わらなければならない」という危機感を強く持つようになりました。
それまでの当社は、国内の製品事業を中心に、テクノロジー単位の事業を複数抱える典型的なコングロマリットでした。経営の危機を脱するためには、大きく変わらなければならなかった。そこで我々は、変革の指針として「社会イノベーション」というひとつのパーパスを掲げました。社会イノベーションという目標を実現する会社、つまり、デジタル技術で暮らしをより良くし、人々を幸せにする会社であるからこそ、当社がいる意味があると考えたのです。そういった会社になるために、何を変えなければならないのかを考え続けてきました。
井上:社会イノベーション事業とは具体的にどんな事業なのか、教えていただけますか。
森田:社会課題を解決する公共サービスや社会インフラは、長らく国が税金で作って提供するのが一般的でしたが、いまの時代は民間が事業化して提供することのほうが多くなっています。公共サービスや社会インフラの領域は、日立が長年取り組み、得意としてきたことでもあります。そこで、それらの領域に関わる企業を顧客として、彼らと協創しながらデジタル技術によって高度な社会インフラを実現し、社会的価値、環境的価値、経済的価値を生み出すような事業を展開していこうと考えたのです。
つまり、製品の性能、価格、信頼性で勝負する従来の製品型モデルから、顧客が必要としているものを理解したうえでソリューションをグローバルに提供し、生み出したバリューに対して対価をいただくというサービス型モデルに変わっていったのです。
その実現の中心となっているのが、「Lumada(ルマーダ)」サイクルモデルです。これは、顧客の課題に着目し、顧客だけでは解決が困難な経営課題に対して、我々が価値の高いソリューションを提供していくというものです。
社会イノベーションというシングルパーパスを打ち出し、業容を入れ替え、経営の仕組みを改革し、事業やファイナンスに対する考え方を変えていく。そうしたことに継続して取り組んできたのが、この10年強という年月でした。
いま振り返ってみると、『ビヨンド・デジタル』に書かれている7つの項目について、出来不出来やフォーカスの変化はありましたが、すべて取り組んできたなと思います。
森田守氏
井上貴之氏
井上:社会イノベーションをパーパスとした御社の変革は、実際どのようなプロセスを経て進められてきたのですか。
森田:日立はテクノロジーの会社であり、「テクノロジーに投資すること、テクノロジーが進化することは、人々を幸せにして、世の中をよくすることだ」と信じている会社だと言えます。会社のミッションにも「優れた自主技術・製品の開発を通じて社会に貢献する」と掲げています。こうした企業活動のベースとなるコーポレートカルチャーは変えたくなかったし、実際変わっていません。
抜本的に変えたのは、テクノロジーの提供の仕方です。先ほども述べたように、これまでは自分たちが持っているテクノロジーを「製品」として提供してきましたが、顧客の課題を解決する「ソリューション」として提供していく方向に大きく転換しました。どんなテクノロジーも社会実装してこそ、少し柔らかい言い方をすれば「ちゃんと使えるように」なってこそ、意味があるし、価値や利益を生み出すことができるからです。
そして、社会イノベーションを提供するために必要なビジネスかどうかを考えながら、フォーカスする分野を決めていきました。それ以外の分野については、グローバルでより成長させられる企業にお任せしたほうがいいだろうと考え、譲渡・売却していきました。電子デバイスや材料系の事業がそれに当たります。そうやって業容を入れ替えていったのです。
井上:変革を推進していく中で、「ここがブレークスルーポイントだった」という出来事があれば、教えてください。
森田:転換点は3つあったと思います。ひとつは、先ほど述べた過去最大の赤字を認識し、「変わらなければならない」という危機感が生まれたときです。その次は、利益率に対する考え方が変わったときです。
2010年に社長になった中西はずっと「利益率を上げていかなければいけない」という話をしていたのですが、会社としては高度経済成長のころの発想からなかなか脱却できず、「黒字なら問題ないでしょ」という考えが根強く残っていました。しかし、5%程度の利益率では、株主に配分したうえで、事業を成長させていくために使える十分な資金を確保できません。それが2013年ごろになって、急にそれぞれの事業部門の方から「利益率5%では話にならない」「10%ぐらいは作りたい」という声が上がるようになったんです。この変化は大きな転機になったと思います。
井上:では、もうひとつの転換点は?
森田:当社はこれまで、各事業部門がそれぞれにがんばって成果を生んで、それを合わせることで会社全体の業績を上げていくという考え方でビジネスをしてきました。そういった状況では、どうしてもサイロ化(それぞれが孤立し、連携が取れていない状態)してしまいます。
社会イノベーション事業で顧客により高いバリューを提供するには、そうしたサイロ状態から脱し、各事業部門が協力し合って顧客にとって最善だと思われるソリューションを提供していくことが不可欠です。そうしなければ、顧客が満足して対価を支払ってくれる価値創生は実現できません。そうした話が社内から自然と出てくるようになったのが昨年ぐらいからです。
取締役会からは変革のスピードが遅いと指摘されることもあるのですが、当社の場合、全体が変わっていくのにはそれなりに時間がかかったというのが実際のところですね。
井上:変革を進めていくには、リーダーシップのあり方も重要な要因になります。日立の中でリーダーシップがどのように変わってきたのか。また、そのリーダーシップが会社にどんな変化をもたらしたのか、教えてください。
森田:現社長の小島啓二がよく言うのが、「社長が交替しながら、10年以上も同じ方向を目指して経営し続ける会社は珍しいのでないか」ということです。実際、そうだと思います。
大規模な赤字の後、川村が方向転換をし、そのあとを継いだ中西が「社会イノベーションというパーパスの下、ファイナンシャルリターンを生み出す会社に変わっていく」という目標設定をしました。次の東原敏昭はABB(スイスの多国籍企業)のパワーグリッド事業や、グローバルロジック(アメリカのデジタル・エンジニアリング・サービス企業)を買収するなどし、目標を実現させ成長をする方向に舵を切りました。そして、「Lumada」の立ち上げに尽力した現社長の小島が、デジタルによって成長を加速させていく取り組みを現在進行形で行っています。このように、この10年強の変革が一連の流れとしてつながっているのです。
井上:そうした継続性のある経営ができている背景には何があるのでしょうか。
森田:やはり取締役会の存在が大きいと思います。
『ビヨンド・デジタル』にも書かれていますが、川村は会長兼社長時代に経営会議で次のような発言をしています。「いまの会議のメンバーを見てみろ。性別は男、年齢は50代から60代で、入社以来日立一筋の人間ばかりだ。皆、同じことを考えるし、同じことを言う。だから間違えるのだ」と。川村は取締役会の多様化を進め、メンバーの半分以上が社外取締役で、約半分が外国人または女性という構成に変えていきました。
彼らが「日立は社会イノベーションでやっていく」という観点から、各事業部門の執行役員たちと本気度の高い真剣な議論をしてくれたのは大きかったですね。また、次の社長を指名するとき、どの人が優秀かという観点ではなく、「次の5年を創れるのは誰か」「会社がやるべきことを実行できるのは誰か」という観点で決めてきたことで、先述したような継続的なリーダーシップが発揮できているんだと思います。
井上:つまり、ガバナンスが機能していた、と。
森田:そうです。そして、ガバナンスが機能した理由は、取締役会を継続的にダイバーシファイ(多様化)してきたおかげだと思います。
井上:日立の変革は、いまも継続しているのでしょうか。
森田:変革はこれからもずっと続いていきます。目標に対してどこまでできたかというよりも、「次は何」という感覚を常に持っています。社会のニーズは変化しますし、テクノロジーもどんどん進化しています。デジタル技術で言えば、6G通信はまだ議論の段階ですが、通信速度は100倍になりますからね。そうなったらいまのITシステムはすべて作り直しです。また、Web3もありますし、メタバースもあります。そうした社会の変化やテクノロジーの進化に合わせて、我々の社会イノベーション事業の中身も提供の方法も変えていかなければなりません。
一方で、会社の仕組みについては、毎年のように変えてしまったら現場が混乱してしまいます。ですので、一度変えたら、ある程度は継続性をもってやっていくことになります。
井上:これからも変革は続いていくかと思いますが、日立の未来として、どのような展望を持たれていますか。
森田:これまで社会イノベーション事業を進めてきて、手応えをつかむことができています。次のステップとしては、さらなる成長を目指して、提供する範囲をグローバルに広げていくことでしょうか。我々としてもよいものを生み出せたという自負があるので、もっと多くの人に使ってほしい、ということです。
ただ、注意しなければいけないのは、こちらがよいと思っているだけだと、失敗するケースが多々あることです。それはテクノロジー指向の会社にありがちなことで、こちらは「優れている」と考えているものの、顧客は「興味がない」というパターンです。自分たちがよいと思うだけではなく、相手にもよいと思ってもらえるように、デジタルテクノロジーに注力しながらも、カスタマーセントリック、つまり顧客や、ひいては社会が何を求めているかについて理解を深めていくことも必要だと考えています。
※当記事は2023年3月29日にダイヤモンド社書籍オンラインにて掲載された記事を、同社の許諾を得て転載しています。