スタートアップ投資におけるバリュエーション

本稿では、スタートアップ企業のバリュエーションアプローチの概要およびその実務に関して紹介する。スタートアップ企業のバリュエーションでは、成熟企業で用いるファンダメンタル分析のアプローチを適用するためにはいくつかの制約がある。それは、スタートアップ企業の以下4つの特徴に起因している。

1. 限定的な過去実績や赤字傾向継続の見通し

業歴が浅く、売上高が低位(シリーズ A,Bではゼロに近いケースも)で、かつ利益計上実績がなく投資先行で当面利益が見込まれないケースもあることから、企業価値を利益ベースで評価することが難しい。例えば、「赤字上場」もしばしばある。

2. 事業成長への期待

新規性のある技術・ビジネスモデルによる高成長を前提としているため、事業計画が過去実績とは不連続であり、将来予測についてさまざまなシナリオが想定されうる*1

3. 企業存続の不確実性

新規事業への投資先行で企業の存続リスクが高い。例えば、米国では創業から7年後までに存続している企業は30%程度*2であり、IPOやM&AなどのExitに至るケースは少数である。

4. 各資金調達ラウンドにおけるプライシング

各資金調達ラウンドでプライシングが行われており、それが価値のベンチマークになる。さらに優先株式などの条件により株主間の権利内容や経済的価値が異なる。

このようなスタートアップ企業の特徴から、主要な投資家であるベンチャーキャピタル(VC)が採用しているプライシング手法(「VCアプローチ」)がスタートアップ投資におけるバリュエーションの基本となっている。本稿では、このVCアプローチおよびその留意点について述べていく。

VCアプローチによるバリュエーション

VCアプローチによるバリュエーションは、大きく5つのステップで実施する(図表1参照)。

ステップ1では、投資先の事業計画の精査であるビジネスデューデリジェンス(BDD)を通じて、バリュエーションのインプットとなる投資終了(Exit)時の売上・利益などの財務指標を予測する。上述のとおり、スタートアップ企業の業績予測は不確実性が高いため、複数シナリオを考慮して幅を持った予測を行うことが肝要となる。

ステップ2~3では、投資先の財務指標を基に、成熟企業のバリュエーションでも用いられる類似企業分析(Comparable Company Analysis)に基づき、マルチプル分析によるEV(Enterprise Value)の試算や将来Exit Valueを算出する。しかし前述の通り、スタートアップ企業は、当面利益を見込まれないケースが多いため、成熟企業で用いるような利益ベース(EBIT、EBITDAなど)のマルチプル分析の適用は難しい。その代替として、売上高ベースのRevenueマルチプル(=EV/Revenue)などが用いられることが多い。

ステップ4では、将来Exit ValueにExitまでのリスクも加味してExit Valueの割引現在価値を算出する。そのための割引率として、VCが用いている要求収益率などが参照される。

ステップ5では、スタートアップ企業の資金調達でよく用いられる優先株式などの存在も念頭に「希薄化」「優先分配」の影響まで考慮した保有株式の価値計算を行う。

類似企業分析(Comparable Company Analysis)

ステップ2~3で用いる類似企業分析では、(1)IPOに至った類似企業を対象に、(2)売上実績推移、(3)IPO以降の株式時価総額を比較し、バリュエーション対象企業に適用するRevenueマルチプルを算出するのが大まかな流れである。

まず、類似企業の選定では、業種、提供製品・サービス、ビジネスモデルなどで類似する上場企業を抽出・リスト化するのが一般的な方法である。次に、リストアップした企業について、創業以降の売上実績推移およびIPO以降の株式時価総額を予測した上で、対象企業の売上実績推移との傾向を比較し、Revenue マルチプルを見積もる。

ここでの留意点として、通常は類似企業のサンプル数が限られること、個社別のRevenueマルチプルのばらつきも大きいことに触れておきたい。実務ではこれらを念頭に、企業の類似性・事業拡大の速度などの定性・準定量的な情報も含む複数の情報から適用すべきマルチプルの検討を行う。この点が、ある程度マルチプルの値にコンセンサスが形成され易い、成熟企業での類似企業分析との大きな違いといえる。図表2は、ソフトウェア系スタートアップ企業を対象とした分析のイメージである。ここでは、設立からの年数に対して、対象企業の売上実績推移・予測をプロットし、類似する上場済み企業と比較している。

VCによる要求収益率

成熟企業のバリュエーションでは、CAPM(資本資産価格モデル)などによるWACC(加重平均資本コスト)などを割引率の指標として現在価値を算出するなどの手法が一般的である。しかし、スタートアップ企業の現在価値算出に用いる割引率には、以下に代表されるスタートアップ企業特有のリスクファクターがあることに留意する必要がある。

  • 企業の存続リスク
  • 事業達成の不確実性
  • 投資対象としての流動性

具体的には、スタートアップ投資の主要な市場参加者であるVCが採用している要求収益率が1つの指標となる。この要求収益率には上記のリスクファクターが総合的に考慮されていると考えることができる。この要求収益率の水準例を示したものが図表3および4であるが、スタートアップ企業の成長ステージが早期であるほど高くなり、上記リスクと連動していることが読み取れる。また、比較的最近に実施された調査(Pepperdine 2018 Private Capital Markets Report)において、従来の調査結果よりも要求収益率の水準が低位にあることは興味深い。この理由を特定することは困難であるが、以下のような要因が想定される。

  • スタートアップエコシステムの形成等による投資分析・管理手法の高度化、知見の蓄積
  • スタートアップ企業、投資家の多様化によるリスク・リターンプロファイルの多様化
  • M&Aを含むスタートアップ投資における、Exit方法の多様化と実行の容易化
  • スタートアップ投資市場の過熱(「売り手優位」な状況)

2018年のPepperdine大学の分析とそれ以前に実施された調査を比較すると、特にシード~アーリーステージにある企業への要求収益率の低下が顕著である(図表3参照)。これらの要求収益率を参照して割引率を決定・適用し、想定するExit Yearにおける将来Exit Valueに基づき、Exit Valueの割引現在価値を算出する単純化した計算式を以下に示す。

バリュエーション実施における留意点‐多面的・補完的分析の重要性

以上がVCアプローチに基づく、スタートアップ企業のバリュエーションのプロセスであるが、成熟企業のバリュエーションにおけるようなファンダメンタル分析が実施できず、かつスタートアップ企業の不確実性さが大きいことを鑑みると、VCアプローチによるバリュエーション結果については、その検証を慎重に行う必要がある。例えば、以下に示すような多面的検討や補完的分析が重要となる(図表5参照)。

(1)直近ラウンドに依存しない独自評価
各資金調達ラウンドでのバリュエーションは、追加的に参加した少数株主固有の投資目的に基づき「プライシング」され、投資先企業全体の評価の基礎として適切なものとはならない可能性があることを念頭に、独自の評価を実施する

(2)事業計画前提の合理性検討
VCアプローチでは、評価額がExit時の売上・利益などの特定の財務指標に大きく依存するが、事業計画の前提となる市場規模・損益構造・必要投資などを多面的に検討する

(3)複数シナリオの検討
VCアプローチでのExit想定はIPOに至った企業のIPOマルチプルを基礎にすることが多いが、IPOに至る企業は少なく、かつ個別性が強いため、ダウンサイドを含め、幅広いシナリオを検討する

(4)ファンダメンタル分析との整合性の検討
スタートアップ企業をDCF(Discount Cash Flow)法により評価することは元来困難ではあるが、継続価値(Terminal Value)を含めフリーキャッシュフロー(FCF)に基づく計算をした場合、どのような前提を採用すると、VCアプローチによる価値と近似、または乖離するかという視点で、補完的分析を実施する

上記のうち、(1)~(3)に関しては、BDDの実施により、検証度合を深めていくことが有用である*3

ファンダメンタル分析との整合性を検討するためには、VCアプローチで算出したExit Valueの現在価値を実現するための前提となるパラメータとして、永久成長率、継続価値およびFCFの推移などをDCF法に基づき、複数パターン逆算し、算出したExit Valueが非現実的な前提に基づくものではないかを確認する方法などがある。

VCアプローチによって求めたExit Valueは、Revenueマルチプルや要求収益率を基礎とするものであり、いわば「相対的視点での価値」(Relative Value)である。上述の(1)~(4)のような多面的検討や補完的分析により、対象企業の「本質的価値」(Intrinsic Value)との潜在的乖離がないかをチェックし、合理性を検証することが重要となる。

結び

本稿では、スタートアップ企業のバリュエーションアプローチの概要とともに、類似企業分析とスタートアップ企業特有のリスクを考慮する方法およびその実務を説明した。スタートアップ企業は元来、バリュエーションを行うことが困難な対象であり、成熟企業を対象とするバリュエーションとは異なるアプローチでの分析が必要となる。スタートアップ企業の分析では、対象企業の製品・サービスの革新性、ビジネスモデルの有効性、経営陣や中核人材等のケイパビリティ、成長計画の実現に向けた施策の遂行能力および状況変化への対応力といった要素の質的分析が最も重要である。特に、アーリー~ミドルステージ以降にマイノリティで出資を企図する企業などは、VCアプローチによるシンプルなフレームワークによる「プライシング」としての評価を、多面的なビジネス・デューデリジェンスを行うことによって、その妥当性を検討することが必要である。そうした分析は、過大なバリュエーションによる出資を回避するための判断に寄与するのみならず、対象会社への深い理解を通じて出資後のモニタリング、さらには出資による事業・戦略面の目的を実現するうえでも有効なものとなるはずである。


*1:BDDにおける事業計画の精査の方法は前章「スタートアップ投資におけるビジネス・デューデリジェンス(BDD)」で述べている

*2:Amy E. Knaup and Merissa C. Piazza, September 2007, “Business Employment Dynamics data:survival and longevity, II”

*3:BDDにおける検証方法の詳細は前章「スタートアップ投資におけるビジネス・デューデリジェンス(BDD)」で述べている


執筆者

織田 耕二

PwCアドバイザリーのパートナー。
M&Aを中心とする戦略的投資における企業・事業・資産の価値評価や経済性分析を中心としたアドバイザリー業務に従事。近年はデータアナリティクスやデジタルプラットフォームを活用したディールの意思決定支援を推進。

谷口 善洋

PwCコンサルティング、Strategy&のマネージャー。
素材・輸送機器等の製造業、総合商社を中心に新規事業開発、事業戦略策定、ビジネスデューデリジェンス、デジタル化戦略策定などのプロジェクト経験を有する。


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