グリーン水素普及に向けた展望

2050年のカーボンニュートラル実現に向けては、グリーン水素*1やグリーンアンモニア、e-fuelなどのグリーン燃料が注目されているが、グリーン水素製造コストの大半を占める再生可能エネルギー(再エネ)の価格がグリーン水素パリティには達せず、2030年の普及は限定的という風潮が強い。しかし、足元でのスタートアップの技術開発動向や欧州、特にドイツでのPower to Gas実証を踏まえると2030年に向けたグリーン水素普及の展望は予想よりも明るく、多くの企業は速やかに対応しなければ事業機会を逸する可能性が高い。

そこで本章では、カーボンニュートラルの実現に向けてグリーン水素に期待される役割を改めて確認した上で、現状の実証や技術開発動向を踏まえたグリーン水素普及の展望と、日本企業の取るべきアクションについて考察したい。

  1. カーボンニュートラル実現に必須となるグリーン水素の役割
    (グリーン水素がなぜ必要なのか)
  2. グリーン水素の経済性
    (日本は水素製造国となり得るのか、またスタートアップの動向は)
  3. 欧州におけるPower to Gas実証の動向
    (早期に水素の経済性が成立しうる条件は何か)
  4. 日本企業が足元で取り組むべきこと

カーボンニュートラル実現に必須となるグリーン水素の役割

カーボンニュートラルの実現には、グリーン水素の普及が非常に重要なカギとなるが、なぜグリーン水素の普及が必要となるのか、2050年の最終エネルギー消費の分析を基に考察したい。

日本の2019年度における最終エネルギー消費内訳(図表1)は、水素の電力としての利用は約26%程度であり、残る74%は石油精製や化学原料利用などの産業用およびモビリティ、航空・船舶の用途での利用が大半となる。CO2削減に向けた取り組みは、当然、経済性が成立し、かつ成熟した技術から導入が進んでいるため、電力分野での太陽光発電や風力発電などの発電技術が先行している。しかしながら、当該領域の寄与だけでは、化石燃料消費の大半を満たせないため、水素を含めたグリーン燃料の利用がカギとなる。

再生可能エネルギーの普及が今後も進むとされるなか、グリーン化が容易な家庭部門での電化やモビリティのEV化も加速することが予想され、次に述べるとおり、需要側の各領域の動向を踏まえても、電力分野の脱炭素化だけでは、カーボンニュートラルは達成できないことが分かる。

図表1 2050年の日本の最終エネルギー消費と水素・グリーン燃料が果たす役割

家庭、業務用途では電化と自家消費が進む

家庭用途は、戸建・低層集合住宅の新築でZEH化が進み、省エネ・創エネが進展する。直近でも、家庭用は自家消費型での太陽光発電の導入が進んでいるが、2050年に向けては、太陽光発電機器のコスト低減に伴い、導入がさらに加速する。また、熱需要も電力価格の低下に伴い、ヒートポンプの導入が進む。

業務用途では、新築、既築ともにZEB化が拡大し、省エネ・創エネが進むことで一定の電化が進行する。地域熱供給やコジェネによる熱需要は、業務用施設を中心にメタネーションが適用される。

運輸用途ではEV化が一定程度進むが、水素自動車やe-fuelとの棲み分けが進む

乗用車、商用車セグメントではEVおよびFCVが普及。他方で、船舶・航空の電化は限定的となり、SAFなどのグリーン燃料利用が進む。詳細は次章「モビリティ領域の水素・燃料電池普及シナリオ」を参照頂きたい。

産業用用途では製鉄などでグリーン燃料利用に向けた技術開発が進む

燃料消費が大きい産業用途では電化技術だけではカーボンニュートラルへの対応が難しく、水素やバイオ燃料、CCUSの利用が加速する。

これら需要側のカーボンニュートラル実現に向けた取り組みは、現時点での各業界団体の現実解を踏まえた方針や、技術開発および政策動向を踏まえた試算となり、将来的に変わり得る不確実性のあるシナリオとなる。また、最終エネルギー消費の形態として一定の燃料需要が2050年時点で残ることは自明であり、水素やe-fuel、バイオ燃料を含めたグリーン燃料がカーボンニュートラルの実現には必須となる。

グリーン水素は、グリーンアンモニア、e-fuelなどのグリーン燃料の原料となる

このように、グリーン燃料の利用に対して複数のオプションが模索されている。既存のサプライチェーンやインフラを活用できるグリーンアンモニアやメタネーションにも期待が高まるが、どの燃料の製造工程においてもグリーン水素が必要となり、2050年カーボンニュートラルに向けてはグリーン水素の低コスト化が重要なカギとなる。

グリーン水素の経済性

では、グリーン水素が普及のコスト水準を迎える時期はいつ頃になるのか。その経済性は、「再生可能エネルギーのコスト」と「効率性を含めた水電解装置のコスト」の2つの主要な要素により決定される。

再生可能エネルギー資源が豊富かつ低コストである地域での水素製造が進む

  • 化石燃料資源と異なり、水素が地域性を持ちにくいとはいえ、低コストかつ豊富な再生可能エネルギー資源が得られる地域は限定的となる。そのため、例えば、中東の一部地域、アフリカ、ロシア、米国、オーストラリアなどが水素製造の有力地とされており、これらの地域では2050年時点で1~1.5ユーロ*2/kg-H2(約12~17円/Nm3-H2)になることが見込まれ、2030年時点でも2ユーロ/kg-H2(約23.4円/Nm3-H2)前後のコスト水準がいくつかの地域でみられるようになる*3
  • 日本国内に関しては、再生可能エネルギーの開発は途上段階にあり、安価な再生可能エネルギーを水素製造に利用することは一部地域を除いて見込めず、中長期的には水素の輸入が主流となる。
    1. 第6次のエネルギー基本計画では、2030年の再生可能エネルギーの導入目標が、従来の22-24%から36-38%に更新され、引き続き導入が加速する。ただ、国内の再生可能エネルギーは需要に対して不足するため、水素製造向けの利用は限定的となる。
    2. 原子力発電の再稼働が継続すると、北海道や東北、九州の離島など国内の再生可能エネルギー適地かつ連系線容量の制約が起こり得る地域では、余剰電力の発生が見込まれる。一方で国内の主なエネルギー需要地に対しての水素輸送方式が限定的となるため、国内の水素製造は地産地消などの一部地域に限られる可能性が高い。

水電解装置のコスト低減は新たな技術開発により加速が進む

  • コスト低減のもう1つのカギとなる水電解装置に関しては、特にスタートアップが中心となって新たな技術開発を進め、さらなるコスト低減が加速する可能性が高い。有望なスタートアップは多く存在するが、本章では書面の都合上、特色ある2社を紹介したい。
    1. H2PRO社は、2019年に設立されたばかりのイスラエルに本社を置く企業であるが、ビルゲイツ財団であるBreakthrough Energy Ventureや住友商事など多くの企業からの資金調達に成功している。同社の特徴としては、E-TACという隔離膜が不要な新たな水電解製法により、製造コストの大幅削減と3.8kWh/Nm3という高効率性を実現することで、2030年までに1米ドル/kg(9.9円/Nm3-H2*4)以下を目指している。
    2. Enapter社は、ドイツに本社を置く企業である。同社の特徴は、AEMという独自の陰イオン交換膜を利用した方式により、水素製造装置のモジュール化と量産化に成功しており、2030年時点で足元のコストの10分の1にすることを目標に生産を進めている。この目標は日本が2040年頃に目標とするコスト水準であり、グリーン水素普及の加速を後押しする可能性が高い。

以上を踏まえると、再生可能エネルギーが安価である地域で新たな技術開発が成功した場合には、水素が普及可能なコスト水準を2030年までに達成する可能性は充分にあり得る。

欧州におけるPower to Gas実証の動向

水素の普及は再生可能エネルギーの価格の低減とスタートアップの技術開発頼みで、実際の実証では普及する水準のコストには程遠いという声も多く聞かれる。しかし、本当に水素の普及が2030年以降になるのか、検証の必要があるだろう。

前述の通り、コストのカギを握る再生可能エネルギーについて、欧州では経済性を成立させるための政策的な支援やサプライチェーン構築の条件などの具体的な検証が進んでおり、これらは日本における地産地消型での水素製造や、水素製造国での事業性成立に向けた取り組みとして参考となる。PwCでは具体的なPower to Gas実証のアドバイザーを努める経験も有しており、本節ではその取り組みの概要について紹介したい。

  • 図表2は、6メガワット規模の水電解装置を用いたドイツでのPower to Gas実証のコスト内訳を示したグラフである。政策的支援による減税と副生成物の販売により、需要家が許容する水素製造コスト水準が低下し、2ユーロ/kg-H2(約23.4円/Nm3-H2)と日本が2030年に政策的に目標とする30円/Nm3の経済性が成立する兆しが見えてきている。
    1. 政策的支援として水電解装置に関する補助金に加え、水素製造に利用するグリーン電力調達に対しては、再生可能エネルギー発電促進賦課金が免除される。
    2. 水電解装置を利用した水素製造における副生物である酸素や副生熱の利用により、複数の収益源を確保することで収益性が向上する。
  • なお、日本で議論されるような短期的な電力需給調整用途に対しては、水素製造効率低下を招き、結果として経済性が成立しにくくなるため、利用されていない。

これらの実証結果は、日本や水素製造適地となる海外諸国における水素普及に向けた法整備化や実証が進む中で非常に参考となる。例えば日本においても、カーボンニュートラルポート構想として注目が集まる港湾周辺地域において、需要家向けや工業地帯向けなどの一定の条件を満たし、なおかつ自営線供給などにより安価な水素製造が可能な場合、副生成物である酸素や廃熱を供給することで、経済合理性が成立する可能性が高まると言える。

図表2 欧州でのPower to Gas実証での水素製造コスト内訳

日本企業が足元で取り組むべきこと

グリーン水素は2030年の時点では経済性が成立せず時期尚早といった意見もあるが、海外スタートアップの動向やPower to Gas実証ではすでに日本が政策的に目標とする価格水準を実現できる兆しや条件が見え始めている。日本においても国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にグリーンイノベーション基金が造成され、クリーンテック領域での技術開発を支援しており、セクターカップリングを通じた新たなバリューチェーンの構築が加速すると言えるだろう。

  • 水素は、これまでのエネルギーバリューチェーンを変える大きな起爆剤となる。例えば、電力会社が水素という新たな燃料を自動車などのモビリティ向けに販売することが可能となったり、ガス会社や産業ガス会社が水素の製造、供給販売に参画可能となったり、既存バリューチェーンの近接領域に事業を拡大する契機となる。これらのバリューチェーン再構築の過程においては、自社の積極的な関与がないと既存のバリューチェーン上におけるポジションが陳腐化するリスクが高くなる。
  • 国内の余剰再生可能エネルギーの供給量が足元では限定的な可能性が高く、また、海外からの水素輸入向けのサプライチェーンが構築されるまで一定の時間を要するため、フォークリフトなどのアプリケーション向けのビジネス構築を小規模で始め、早期に日本国内で水素事業パターン・事業網を構築することが重要となる。他社が水素事業パターンや事業網を構築した後からの参入では、厳しい展開が予想される。

将来的な技術開発動向により、今後もシナリオが大きく変わる可能性が存在するが、日本企業が自社ポジションを確保するためにも、遅れずにアクションを取ることが重要である。


*1:グリーン水素と限定しているが、地域によってはCCSなどを組み合わせた電力を利用したブルー水素も普及する可能性は高いが、時期は現時点で明確ではないため、本章では特段区分していない。

*2:本章では1ユーロ=130円で換算

*3:PwC,「グリーン水素経済~今後の「脱炭素」の重要市場を予測する」参照

*4:本章では1米ドル=110円で換算


執筆者

板橋 辰昌
ディレクター, PwCコンサルティング合同会社

※法人名・役職などは掲載当時のものです。


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