欧州の低炭素水素市場の確立に向けて エネルギー転換を支える水素

エグゼクティブサマリー

2020年台は、気候変動に取り組むにあたって非常に重要な10年になるだろう。気温上昇を1.5℃以下に抑え、二酸化炭素排出量ネットゼロを実現するというパリ協定の目標を達成するためには、2030年まで毎年、世界の脱炭素化率を5倍(約12%)ずつ引き上げる必要がある*1。この脱炭素化を加速するうえで、低炭素水素(生産過程の炭素排出量を最小限に抑えた水素。一般的にはグリーン水素、ブルー水素と呼ばれるものの総称)経済の構築は重要な役割を果たすことができる。

水素は、炭素排出を減らすことが難しい多くの機器や産業において、炭化水素(石油や天然ガスの主成分。大気汚染物質であり、燃焼の際に二酸化炭素の排出を伴う)の代わりになる可能性があるため、グリーンエネルギーの未来にとっての万能エネルギーと見る向きが多い。水素分子は再生可能エネルギーの断続的な電力を貯蔵するのに役立ち、電化が困難で費用対効果が成立しづらい熱供給に対し、代替熱源の役目を果たすこともできる。また、発電や、高温を必要とする工業プロセス(例えば鉄鋼生産)の燃料にもなりうる。

しかし、このグリーンエネルギー燃料の持つ大きな可能性を現実のものとするにはどうすればいいのだろうか。結局のところ、技術は成熟していても(燃料電池は人間を初めて月へ送るのに役立った)、産業やサプライチェーンはまだ初期段階にあり、成熟しているとはいえない。低炭素水素経済を構築するには、ターゲット産業の需要を刺激することや、LNG(液化天然ガス)の成長と同じように、水素のグローバル取引市場を設立するなど、いくつもの要素を組み上げる必要がある*2。そして、EUが目標とする低炭素水素経済を実現するには、強力かつ有効な規制枠組を各国政府が定め、こうした構成要素を下支えする必要がある。

水素市場の現状およびポテンシャルの概観

低炭素水素は自然界に豊富にあり、クリーンで用途が広い。また、便利なエネルギー媒体として広く認識されており、現在、エネルギー転換に重要な役割を果たすものと見なされている。水素を燃料源として活用する可能性については、この数十年間、折にふれて検討されてきたものの、それほど進展しなかった。しかし、炭素排出量を抑制し、ネットゼロを実現しようとする各国および国際機関による最近の取り組みや、再生可能エネルギー容量の着実な拡大、さらにはコスト低下が進んだことで、ようやく水素利用の条件が整ってきた。特に顕著なのが、天然ガス代替となりうる低炭素水素である(図表1参照)。

図表1 水素は天然ガスと特性が似ており、二酸化炭素排出量が少なく、自然界に豊富に存在するため、天然ガスに置き換わる可能性がある

国際エネルギー機関(IEA)の持続可能な開発シナリオ(SDS)の予測によると、世界の水素需要は、2019年には約7,000万トンだったが、2070年までに約7.4倍の5億2,000万トンに増加すると見られている(図表2参照)。それに伴って化石燃料の消費量が減り、水素の低炭素生産が進むと仮定すると、2070年までに世界のエネルギー産業と工業プロセスからの二酸化炭素排出量をゼロ(カーボンニュートラル)にすることに貢献できる。

図表2 SDSのシナリオでは、世界の水素需要が2070年までに7倍の5億2,000万トン/H2に増加すると予測されている

もちろん、水素は発見されたばかりのものではない。年間7,000万トンが生産されており、その市場規模は約1,000億米ドルに相当する(図表3参照)。需要は主に産業部門で、その最大の市場はアジア(48%)であり、米国(22%)、欧州(18%)が続く。また、石油精製・化学工業が水素需要の80%以上を占めている。製油所では、水素を用いてディーゼル燃料の脱硫処理をしているため、世界的なディーゼル消費と硫黄含有量規制の強化によって、需要は支えられている。

図表3 2020年の世界の水素需要の取引高は約1,000億米ドル

化学工業では、水素はアンモニアとメタノールという、広く使用されている重要な2つの化合物の製造に使用されている。また、アンモニアは肥料産業の主原料である。

問題は、今日消費される水素の約95%が化石燃料から生成されていることで、その最も一般的な生成方法は石炭ガス化と水蒸気メタン改質である。これらのプロセスでは、化石燃料、すなわち石炭またはガスを投入すると、蒸気と反応して一酸化炭素、二酸化炭素、水素が生成される。二酸化炭素を回収、使用、または貯留しない限り、こうした従来の水素製造方法は環境に対して有害であり、水素1kgを精製するに際して約10kgの二酸化炭素を放出することになってしまう。

そのため、水素が世界経済の持続的な脱炭素化を実現するには、生産プロセスにおける炭素排出量が最小限に抑えられることが条件となる。そのためにはいくつかの方法がある。低炭素水素は、風力、太陽光、水力などの再生可能エネルギーや、バイオガス、原子力の力を借りることで、大規模に生産することが可能である。また従来の化石燃料エネルギー源と炭素回収・貯留(CCS)の方法を組み合わせることで低炭素水素を生産することもできる。これらのテーマについては、「構成要素2」のセクションで詳しく検討している。しかし、まず需要を喚起することが、水素経済を発展させるための重要な構成要素のひとつである。

低炭素水素の需要を喚起する

国や産業が、燃料源や原料として低炭素水素にますます注目するようになると、水素の顧客基盤も一層多様化することが予想される。さまざまなセクターごとに、低炭素水素製造技術の成熟度、既存プロセスへの適応にあたっての複雑さ、規制や経済インセンティブの有無、といった状況が異なるため、それぞれ固有の脱炭素化に向けた道筋と時間軸に従うことになる。代替技術や競合技術が利用できるかどうかも、ひとつの要因になる(小型乗用車の電動化がその好例である)。

しかし、低炭素水素経済を目指す政府は、多くのセクターを対象とするより、むしろ次のような大まかな原則をもとに、集中的な取り組みを行う必要があるだろう。

  • 脱炭素化が難しく、規模の大きい産業クラスター(大規模で多様な各種産業プレイヤー)や、利用可能な既存インフラ(パイプラインなど)に焦点を当てる
  • こうしたクラスターが港や海岸線近くにある場合、それは拡大しつつある水素のグローバル取引市場にアクセスする上でも重要になる
  • パートナーシップモデルは水素ソリューションを展開する土台となる。これらのパートナーシップは、水素分野におけるケイパビリティ構築や、投資コスト・リスクを分担し合うシンジケートを検討する企業間で結ばれることが多い。現地政府もアライアンスに参加することができる

多くのセクターが低炭素水素の未来を目指すことができる。しかし、優先されるべきセクターもいくつかあり、脱炭素化促進のための有効な代替技術がないセクターは特に優先されなければならない。こうしたことを考慮に入れると、優先されるべきセクターは以下を考慮したものになるだろう。

喫緊の大きな課題は、ターゲット産業に対するグリーン水素への切り替えを、強制するのではなく補助金により促進し、需要を喚起することである

欧州の業界関係者

石油精製業

この業界は、石炭やガスから生成される通常の水素の代わりに低炭素水素を使うようになる可能性が高い。次の段階として、低炭素水素を使用し、回収した炭素と合わせて合成燃料を製造するなどの活用計画を立てている。既存の再生可能エネルギー規制(再生可能エネルギー指令II)の遵守と経済インセンティブが、こうした変化を加速させる可能性がある。

鉄鋼業

世界鉄鋼協会によると、現在、鉄鋼1トンを製造する際に1.85トンの二酸化炭素が発生しているが、鉄鉱石を高炉で溶かさず個体の状態のまま、水素を使って酸素を除去する鉄の直接還元技術が、脱炭素化に向けた有望な道筋となる。この技術はすでに鉄鋼メーカーによる実証プロジェクト内で検討されており、2020年代半ばには実用化可能な段階に達し、その後の規模拡大が見込まれている(図表5参照)。

発電セクター

天然ガス混焼、または純水素燃料によるガスタービン発電で、このセクターにおける脱炭素化を図ることができる。ガスタービンメーカーは現在、業界団体EUTurbinesの目標に沿って、2030年までに純水素対応タービンの設計に向けて、火炎伝播速度の速さや二酸化窒素の排出といった、水素燃焼によって生じる技術的課題の解決に取り組んでいる。こうした動きは、発電会社が事業の脱炭素化を進め、排出ガス規制の強化に伴う座礁資産リスクを軽減する上で、新たな道を拓くことになる(図表4参照)。

セメント産業

セメント産業は興味深いケースである。なぜならこの業界が排出する二酸化炭素の3分の1は、加熱プロセスと、焼成反応を引き起こすのに必要な燃料源に起因するからである。このケースでは、水素を主要な燃料源として代わりに使うことができる。この業界の二酸化炭素排出量の残りの3分の2は、焼成のプロセスそのものに直接関係している。セメント業界では、排出削減義務を果たすためにエネルギー効率の向上、クリンカ対セメントの比率の低減、代替結合材の使用、長期貯蔵・利用に向けた炭素回収など、いくつかの二酸化炭素削減方法が認定されている。そしてこの最後の方法は、このセクターにとって特に大きなチャンスになる。セメントメーカーが回収した炭素とグリーン水素を組み合わせると、アンモニアやメタノールなどの化合物を生成することができる。これは、低炭素水素市場にはセクターを超えたコラボレーションの可能性があることを明示している。

輸送セクター

貨物トラック輸送などの大型輸送は、一定の規模の経済を生み出すのに十分な量の水素を燃料として消費する可能性がある。大型車両が多く、ルートも事前に決まっているため、広範囲の水素ステーション網を急いで構築する必要もあまりない。一部の自動車メーカーは小型自動車に多額の投資を行っているが、より安価で低炭素なEVがすでに普及しているため、自家用車の開発も含めて苦戦を強いられている。水素は輸送セクターにおいて、他セクターに先駆けてコスト競争力をもちうる。なぜならディーゼルやガソリンのコストは、他の産業で使われている天然ガスのコストより一般的に高いからだ。各国政府はいずれ、車両燃料としての水素や合成燃料の利用増加に応じて、今日のガソリン・ディーゼル販売への課税を置き換える必要が出てくる。今後、水素への課税により、そのコスト競争力が損なわれる恐れがあるが、各国政府は輸送セクターにおける低炭素化の進歩を妨げないためにも、水素燃料への切り替えが十分に確立されるまでは課税を控え、そのため鈍化リスクは避けられると思われる。

図表4 エネルギーセクターでは、発電や熱源用の燃料として使う水素の量を増やすための準備が進んでいる
図表5 鉄鋼業の脱炭素化のために、グリーン水素をコークスや石炭の代替品として使う実験が行われている

低炭素水素の供給を拡大する

低炭素水素の開発を加速し、エネルギー集約型産業において炭化水素の置き換えを推進するためには、炭素排出を伴う成熟技術と、クリーンな水素を活用する新技術との価格差を埋めることが最優先課題となる。電気料金コストは、グリーン水素の変動費の60~70%を占めるため、水電解装置を稼働させるには安価で豊富な再生可能エネルギーが手に入ることが何より重要になる。Strategy&がインタビューした専門家によると、再生可能エネルギーの均等化発電原価(LCOE)が1MWhあたり20米ドルを下回ると、グリーン水素はコスト競争力を持てる規模感になるという。そうなると、世界中の国々が再生可能エネルギーに多額の投資を行い、LCOEを下げていけば、2030年までにその規模感がが出てくる可能性がある。

一方、水電解装置OEMは、電解効率を高め、変動費削減にも寄与する規模の経済を実現しようと懸命に取り組んでいる。また、高分子電解質膜(PEM)技術は、アルカリ(ALK)を使った場合より効率的であり、コスト削減につながると期待されている。

今日、1kgの水素を生成するには約55kWhの電力量が必要である。電気分解技術がさらに向上すれば、CAPEX(資本的支出)の改善が期待される。しかし、アジアで生産された比較的安価な水電解装置(1kW当たり500米ドル未満)と、欧州で生産された水電解装置では、CAPEXに大きな差がある場合もある。この差は使用されている技術も反映しており、PEM電解装置はALK電解装置より多くのCAPEXが必要になる(図表6参照)。

図表6 今後予期されるコストの最適化と二酸化炭素価格の上昇によって、グリーン水素は2030年までにコスト競争力を持てるようになる

しかし、予想されるグリーン水素需要の急増は、再生可能エネルギー導入容量に対するニーズを大幅に拡大する。この点を解説すると、EUが2030年に電気分解で1,000万トンの水素を生成するには、約550TWhの再生可能エネルギーを消費することになる(1kgの水素生成に約55kWhの電力量が必要であることを前提とした場合)。これはフランスの2020年の年間電力消費量(460TWh)を上回っている。

再生可能エネルギー導入のポテンシャルが高く、欧州の一部地域に水電解装置向けのグリーンエネルギーを供給できる国もある。これらの国は、グリーン水素を生成し、他国へ輸出することもできる(今後のグローバル水素取引市場の主な潜在輸出国および輸入国の概要については、図表7を参照)。

図表7 GCC1)、オーストラリア、カナダ、モロッコは、アジアおよび欧州諸国に大量の水素を輸出できる高いポテンシャルがある

水電解装置に必要なもうひとつの重要資源は、水である。水素1kgを生成するには、約22リットルの水が必要になるため、その量は膨大なものになる。工業集積地域では、水電解装置と工業ニーズを満たす十分な量の水を確保する上で、一定の制限がかけられる場合もあり得る。

最後に、水素供給における「ブルー」水素、すなわち炭素回収技術を使ってガスから生成したものの役割について少し考えてみよう。水素供給の最終目標はクリーンで再生可能なエネルギー源から生成した水素でなければならないが、「グリーン」水素の生産が大規模に行われるようになるまで、十分な量の低炭素水素を生成するつなぎの技術として、「ブルー」水素は重要な役割を果たすことになる。こうした例はオランダに多く見られるが、英国でも、例えばEquinorとUniperが10社以上のパートナーと共同で、炭素回収技術を使ってガスから水素を生成する「ゼロカーボン・ハンバー・コンソーシアム(Zero Carbon Humber consortium)」を立ち上げている。二酸化炭素は北海に運ばれ、海底に貯蔵されることになっている。

水素の変動費は、主な原材料である電気のコストによってほぼ決まってくる

水電解装置メーカー

供給と需要を結び付ける-輸送と貯蔵

水素の輸送は需要と供給を結ぶカギである。

既存のガスインフラを通じて水素輸送するのは、選択肢のひとつである。すでに述べたように、欧州のガス導管システム事業者は、最大10%程度の水素なら天然ガスに混入しても、さしたる技術上の問題はないと見ている。ガスのネットワークを少し調整すれば、最大20%の混入も可能と思われるが、それ以上は水素専用インフラを設置するほうが、費用対効果が高いだろう。

しかし、天然ガスへの水素混入に関する経済モデルはまだ明確になっていない。高価な水素分子を安価な天然ガスに注入することは、価格崩壊につながる仕組みと見なされることが多い。また、水素を暖房に使用することが技術的に可能であることを示すプロジェクトもある。例えば、英国のガス会社数社が開始した、2030年までに英国初の水素タウンを実現するという計画もそのひとつである。

天然ガスの量が減ると予想される一方、ガス導管は水素輸送にも活用できるため、TSOは座礁資産を抱えこむ心配がなくなる。欧州のガスTSO11社は、水素輸送のインフラ開発を想定した、欧州の水素「バックボーン」研究を発表した*3。これは水素ハブを中心とする地域ネットワークから、欧州全体を網羅する相互接続型のネットワーク(そのうち約75%はガスの既存のインフラを改修したもので、25%は新しい水素導管)まで、2040年までに全長約23,000kmを整備するというものである。このインフラ開発の費用は640億ユーロと見積もられている(図表8参照)。

図表8 水素市場の成長を支えるためにインフラは非常に重要であり、2040年までに640億ユーロもの投資が予定されている
図表9 ケーススタディ:2020年9月20日、世界で初めてブルーアンモニアがサウジアラビアから日本へ出荷

パイプラインで接続できない地域については、別の選択肢がある。ひとつは圧縮水素をガス体輸送することで、モビリティ市場のニーズに対応することである。しかし、水素のエネルギー体積密度は低いため、この方法では比較的少量のエネルギーしか輸送できず、産業界全体で期待される大量のエネルギーに応えることは難しい。

水素を短期間で輸送・貯蔵するもうひとつの選択肢は、液化水素である。しかし、コストが高く、マイナス235℃で保管する必要があるため、利用されるとすれば航空・宇宙用の燃料としての可能性が高い(短・中距離飛行やロケット推進など)。メチルシクロヘキサンやメタノールなどの液体有機水素担体(LOHC)も、水素を長距離輸送する方法のひとつである。LOHCは既存の輸送手段がそのまま使えて、再利用ができ、また常温下および大気圧環境下での取り扱いが可能である。欠点としては、消費地点で水素を分離するのに熱が必要なことや、化学反応を起こすのに時間がかかることなどが挙げられる。

アンモニアも水素を長期間、大量に貯蔵する便利な方法である。エネルギー密度が高く、幅広い産業分野で、そのままの形で使うことができる。また、ガスタービンや船舶を動かす燃料として直接使用することもできる。さらに、アンモニアには成熟した供給ネットワークと輸送インフラが存在する。欠点としては、毒性が強く、窒素酸化物が排出されることなどが挙げられる。今日、LOHCに比べると、アンモニアの方がわずかながらコスト優位性が高いようである。

輸送と同じく、工業ユーザーに大量の水素を供給し続けるには、水素を貯蔵する必要がある。水素はアンモニア、LOHC、または液体水素などの液体として貯蔵することができるが、気体として貯蔵するよりはるかにコストがかかる。岩塩層空洞や枯渇したガス田は、それぞれコストが1kg当たり0.30米ドルと2米ドル未満で、大量の水素を貯蔵するには最良の候補である。こうした貯蔵地は地理的に遠く、需要にあわせて供給するには最も効率的な方法とはいえないかもしれない。しかし、帯水層貯留などの代替案もまだ調査中である。技術面、そして運用面の課題としては、気体量の損失、細菌との化学反応や微生物反応によって掘削孔内が腐食することなどが挙げられる。

2025年からは、水素クラスターとエコシステムを結ぶために、国内および国境を越えたインフラが必要になるだろう

大手導管メーカー

市場を支える規制枠組を整備する

需要、供給、輸送・貯蔵は水素経済の核となる柱だが、こうした柱は強固な規制枠組の上に築かれる必要がある。各国政府は水素戦略を打ち立てる重要な役割を担っており、明確な目標を掲げて、戦略的投資と財政的なインセンティブにより補完していくことが求められる。それが確立されれば、民間セクターの参加を促す正しいシグナルを市場に発信できるだろう。例えば、英国では洋上風力発電を促進するため、まさにこのような取り組みが行われている。英国政府は世界のリーダーになるという明確なビジョンを掲げ、目標を定め、差額契約(CfD)による投資を可能にした。英国は2000年代初頭にこの取り組みを初め、2020年には洋上風力発電容量が約10GWに達している。現在、英国政府は、2030年までに40GWを達成することを目指している。

水素については、欧州各地で同様の取り組みが行われている。EU全体の水素ロードマップ(図表10参照)といくつかの国が先般策定した国家水素戦略(図表11参照)は、グリーン水素の潜在市場を隅々まで掘り越していくうえで重要なステップと捉えられる。このように長期的な見通しを公開することで、需要側、供給側双方のステークホルダーが等しく必要な投資を行えるようになる。欧州の内部および周辺国において、公平な条件と公正な競争を保証するためには、国家間の協力と調整が重要になる。

図表10 2020年のEUの水素戦略は、2050年までに野心的な目標を達成するため水素開発と協力を促すというものである
図表11 欧州諸国の多くが国家水素戦略を発表しており、水素への注目度は高まっている(主な欧州諸国)

初期段階のグリーン水素市場では、生産者と消費者が低炭素水素技術に切り替えられるように適切なインセンティブを設けるべく、政府による財政支援も必要になる。CAPEXまたはOPEXへの直接の補助金、あるいは補償の仕組みなど、支援にはさまざまな形があり、欧州では、2020年12月に「欧州共通利益に適合する重要プロジェクト(IPCEI)」の設立が合意された。これは、EU水素戦略が定める水電解装置容量導入に係る野心的な目標を達成するための、真の促進剤となるだろう。

国家レベルでは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)収束後の経済刺激策に割当てられている資金が、実証プロジェクトや水素技術開発を支え、財政インセンティブを通じて需要側・供給側を促す強力なツールになるだろう。この支援は、グリーン水素が他のエネルギー源に対してコスト競争力を持つようになるまで必要だが、先述したように、早くても2030年ごろに達成される見通しだ。

規制もグリーン水素への移行を促進するためのカギとなる。炭素税の増税、欧州国境税、あるいは工業プロセスにおける水素の使用に際して拘束力のある目標や義務的な割り当てを課すといった措置は、EUや欧州諸国が大量の水素需要を生み出すという目標を達成し、市場の好調な滑り出しを支えるだろう。

明確な国家水素戦略

各国が水素経済の構築を加速させるにあたり、政府による詳細な国家水素戦略の策定が不可欠となる。欧州では、フランスとドイツがすでにそれぞれのアプローチを明確に示している(図表12、13参照)。他の欧州各国政府も両国の例に倣う必要があり、そうすることで水素を促進するための規制枠組が強化されることになる。

図表12 フランスの水素戦略は、工業と大型輸送の脱炭素化および技術面におけるリーダーシップ獲得に重点を置いている
図表13 ドイツの水素戦略はインフラ開発、コスト競争力の向上、パートナー国からの輸入に重点を置いている

注意点としては、これらの国家戦略に沿う一方で、特定の需要セクターを他のセクターより不利に扱うような反競争的な運用を発生させないことが重要である。図表10で示したように、EUは加盟国間の取り組みの調整と協調に向け、いくつかの大きな目標と重点分野の設定を進めている。

次のステップ

この報告書でインタビューした専門家の1人は「水素の10年がついに始まったと言ってもいいだろう」と述べている。今後10年間で水素市場が本格的に拡大していくには、カギとなる重要な行動がいくつかある。

  1. 明確にビジネスが成立する分野においては、エネルギー生成や工業プロセス変革の両面で低炭素水素を燃料や原料として用い、イノベーションを通じて需要を喚起する。石油精製業と鉄鋼業が主要な対象セグメントとなり、業界の垣根を超えた協力関係を促進することが、脱炭素化を進める上で需要になる。
  2. グレー水素(天然ガスからの水素)と低炭素水素との供給におけるコストの差を埋める。そのため、OPEXについては低炭素電力供給を増やし、コストを削減する。CAPEXについては、水素プラントで必要な水電解装置やその他の機器コストを削減する。同様に「ブルー」水素は、よりクリーンなエネルギー源によるビジネスが成立し、かつ利用可能になるまで、十分な量の水素を供給するための過渡期対応としての役割を担う。
  3. 水素サプライチェーンのうち、特に輸送と貯蔵について開発する。発展するグローバル取引市場に需要と供給を呼び込むには、整備されたサプライチェーンの存在はその大前提となる。
  4. 一部の水素輸出国の安価なグリーン電力を利用し、グローバル水素取引市場を活性化させる。輸送コストを加えても水素単価を競争力のある水準に維持できれば、水素輸入国にコスト差を解消した必要な量のグリーン水素を供給することもできる。
  5. 規制、認証、公的補助金制度を利用し、水素市場の立ち上げを支える。とりわけEUレベルでは、初期段階の低炭素水素市場を活性化させ、EU内およびその周辺国における不当競争を防ぐために、加盟国同士の戦略の協調をはかることが何より重要になる。

今、適切に支援策を打てば、この生まれたばかりの低炭素水素市場は2030年までに成長・急拡大し、今後10年でコスト競争力を持つようになる。欧州で水素経済を実現するためには、政府、都市、企業のすべてがパートナーシップを通じてそれぞれの役割を果たすことが求められるであろう。

※本コンテンツは、「Laying the foundations of a low carbon hydrogen market in Europe」を翻訳したものです。翻訳には正確を期しておりますが、英語版と解釈の相違がある場合は、英語版に依拠してください。


*1:PwC Net Zero Economy Index 2020参照

*2:Liquefied Natural Gas

*3:European Hydrogen Backbone参照


執筆者

Laurent Saint Martin

Dr. Matthias Witzemann

Adrian Del Maestro

Guillaume Jean

Frederic Delannoy

Simon Betz

監訳者

桑原 永尚

シニアマネージャー, PwCコンサルティング合同会社

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