【第2章 】構造変化がもたらす事業機会と脅威

国内のヘルスケア領域においても、今後10年でエコシステムの構造変化が進み、新たな常識が形成されるだろう。それに伴い、現在のヘルスケアエコシステムに参画するプレイヤーが展開する既存事業も少なからず影響を受け、また一方で新たな事業機会が生まれると想定される。Strategy&では、ヘルスケアエコシステムを取り巻く9つのプレイヤー(「製薬企業」「医療・診断機器企業」「薬局」「医療機関(病院)」「医療機関(診療所)」「健康製品・サービス企業」「保険事業者」「大手ハイテク企業」「ITベンチャー企業」)を対象に、国内のヘルスケアエコシステムにおいて今後10年の間に起こり得る構造変化に対する見立てと、事業機会の展望について調査した*1

本章では、「治療から予防へ」「個別化医療」「デジタルヘルス」という、ヘルスケアエコシステムにおける3つの主たる構造変化(図表1参照)とその具体例に対して、上記9つのプレイヤーがどこまで構造変化の可能性と自身の事業への影響を理解しているか、また今後の事業展開の可能性をどのように捉えているかについて、調査結果を基に明らかにしていく。

*1:Strategy&が2021年1月に大手Web調査会社のパネルに属する、ヘルスケアエコシステム関連業種の役職者(課長以上)400名を対象に実施した調査。職種は、経営企画・事業開発、営業企画・営業、商品企画・研究開発、調査・マーケティング、または情報システム・IT部門のいずれか。大手ハイテクとヘルステック・ITベンチャーは設立年と従業員数で区分。

構造変化

国内のヘルスケアエコシステムにおいて、今後10年程度の間に「治療から予防へ」「個別化医療」「デジタルヘルス」の3つの大きな構造変化が進むことが想定される。まず、「治療から予防へ」の構造変化が進むことで、治療・投薬が中心であった患者への医療サービスが未病・予防まで広がり、健康維持対策、病気の早期発見・診断といった需要・サービスが拡充するだろう。また、「個別化医療」が進むことにより、病気の発症や症状を決定づけるさまざまな因子が明らかになり、万人に効果が見込まれる従来型の治療法から、より個人に適した治療法の選択・提供へと移行すると考えられる。

さらに、「デジタルヘルス」の進展によって、オンライン診療の加速や、従来型の薬を超えたモバイルアプリやデバイスを通じたインタラクティブな治療も進むと考えられる。また、病院内で特別な条件下で行われる臨床試験のデータだけでなく、より日常に近い場面における患者の生体反応データや、幅広い症例の実際の治療結果に基づくリアルワールドのビッグデータが大幅に増加し、蓄積されることで、これまでは解明されていなかった病気の発症原因や進行原因などの解明につながり、医薬品の開発などが進展することも期待される。

立ち位置の異なる9つのプレイヤーはいずれも、これら3つの構造変化のうち「治療から予防へ」の流れが最も進むと予測している(図表2参照)。その中でも、現在のヘルスケアエコシステムにおいて「治療」という絶対的な立ち位置を担う「製薬企業」と「医療機関(病院)」が最も強くこの変化を意識している点は、将来のヘルスケアエコシステムの構造変化に対する危機感の表れではないだろうか。

ヘルスケアエコシステムの構造変化の中で、「治療から予防へ」のトレンドが加速した場合、既存事業の収益にプラスの効果が出るプレイヤーもいるが、逆の場合もある。その中で、より早期に新規事業の芽を見出し、取り組みを進めることのできるプレイヤーは、既存事業に加えて新規事業の成長も期待される。

治療から予防へ

「治療から予防へ」の構造変化においては、「データによる健康管理・予防サービス」「予防啓発のための健康リスクに基づく商品」「AI・ビッグデータに基づく早期診断サービス」の観点で、ほぼ全てのプレイヤーが、こうした変化が進むとみている(図表3参照)。

これらの変化が進むことを強く認識しているプレイヤーの1つは「医療機関(病院)」であり、特に「データによる健康管理・予防サービス」が進展するとみている(図表3〈左〉参照)。「医療機関(病院)」の回答者のうち、同サービスの進展が既存事業の収益に「プラスに影響する」とみているのは50%に留まるが、81%は「新しい事業機会が有る」とみている(図表4〈左〉参照)。従来のヘルスケアエコシステムにおいて「診断・治療をする場」としての役割を担う病院も、この構造変化を捉えた新たな事業展開が加速する中で、個人の医療・健康関連情報を集約した上で、「健康管理や疾病予防の場」としての役割が増していくであろう。

「保険事業者」も、「治療から予防へ」の構造変化が進むことを強く認識しており、3つのいずれの事業・サービスについても回答者の8割以上が進展すると考えている(図表3参照)。その中でも「予防啓発のための健康リスクに基づく商品」についての注目度が高く、71%が「新しい事業機会がある」と回答し(図表4参照)、48%が既存事業の収益に「プラスに影響する」とみている(図表4〈中央〉参照)。また、回答者からは、予防・未病に関する取り組みにベネフィット(保険料の割引など)を伴う新商品の開発の可能性も示唆された。

治療薬の開発・提供を事業の柱としている「製薬企業」も、「治療から予防へ」の構造変化において、3つのいずれの事業・サービスの進展に対しても、回答者の半数程度は、既存事業の収益に「プラスに影響する」とみている(図表4参照)。また、「医療機関(病院)」と同様に、「製薬企業」も79%という高い割合で「データによる健康管理・予防サービス」の進展において、「新しい事業機会がある」とみている(図表4〈左〉参照)。データの活用により疾病の根本原因の解明が進むことで、「製薬会社」は新たな予防薬や治療薬開発が可能になるほか、疾患スクリーニングや疾病罹患リスクの数値化・フィードバック用システムの構築といった事業展開も検討されている。これまではさまざまなワクチンの開発・提供で予防医療に貢献してきた「製薬企業」が、健康管理・予防サービス事業に本格進出することで、さまざまな新事業が生まれる可能性があり、疾病予防における役割は一層拡大していくであろう。

個別化治療

「個別化医療」の構造変化においては、「遺伝子解析などに基づく治療薬の選定」「患者のQOL向上・治療の個人最適化」「個人向けに開発・製造された治療薬」の観点から、ほぼ全てのプレイヤーにおいてこうした変化が進むとみている(図表5参照)。しかし、既存事業の収益について、「プラスに影響する」、あるいは「新しい事業機会がある」とする割合は、業種によってばらつきがある(図表6参照)。

これらの変化が進むことを最も強く認識しているのは「製薬企業」であり、特に「遺伝子解析などに基づく治療薬の選定」が進むとみている回答者は、合計で約85%に上る(図表5参照)。この変化が進むことで、特定の疾病の発症や症状抑制に関連する遺伝子が解明され、「製薬企業」はその遺伝的特徴を持つ患者に有効な医薬品を開発できると考えられており、56%が「新しい事業機会がある」と回答した(図表6〈左〉参照)。また、あらかじめ効果が見込める患者を遺伝子解析により絞り込めるため、「製薬企業」にとっては、開発段階における臨床試験の規模と費用を抑えられるというメリットがあるとされる。そのため、この構造変化の進展が既存事業の収益に「プラスに影響する」とみている回答者は63%に達した(図表6〈左〉参照)。

また「製薬企業」は、「患者のQOL向上・治療の個人最適化」については56%、「個人向けに開発・製造された治療薬」については52%と、半数あまりが「新しい事業機会がある」と回答した(図表6参照)。これは、遺伝子レベルでの治療薬の選定に留まらず、副作用の軽減や投与量・方法・回数の最適化など、個別の患者により適した治療薬が今後開発、製造される可能性を示唆している。本調査結果でも示されたように、個別化医療の進展は、引き続き「製薬企業」にとって多くの事業機会をもたらす可能性があり、「製薬企業」が牽引することで構造変化が一層進んでいくものと考えられる。

「医療機関(病院)」も個別化医療の構造変化が既存事業の収益をプラスにすると肯定的に捉えており、特に「遺伝子解析などに基づく治療薬の選定」がプラスに作用するとみている(54%)(図表6〈左〉参照)。また、そこには新しい事業機会があると考えている回答者も、58%に上った(図表6〈左〉参照)。個別化医療の進展により、「医療機関(病院)」の診療の場における治療薬の選定過程も大きく影響を受けるものと考えられ、治療効果を高めるための遺伝子解析や治療を個人により最適化するための検査などの取り組みが、既存事業にプラスに働き、同時に新しい事業機会をもたらすことになるだろう。

また、調査結果から「医療・診断機器企業」や「大手ハイテク企業」「ITベンチャー企業」などの一定数は、個別化医療の進展において、患者と医療サービス提供者の間をつなぐ診断機器や、不可欠となるデータを支えるソフトウエアやハードウェア、ネットワークなどのインフラ事業に新しい事業の可能性を見いだしていることがうかがえた。さらに「保険事業者」は、より一層個々人の特性や固有の死亡リスクに応じた保険の新商品開発の可能性を見いだして、「健康製品・サービス企業」は、テーラーメイド食やアプリの提案などに新規開発の可能性があるとしている。このように、個別化医療はまだ「製薬企業」や「医療機関(病院)」が中心となって取り組んでいる領域であるが、今後は、医療機関での「治療」に限定されない新事業を生んでいくものと考えられる。

デジタルヘルス

「デジタルヘルス」の構造変化においては、図表7が示すように、「オンライン(遠隔)診療・治療」「モバイルアプリ・デバイスによる治療」の観点から、「医療機関(病院)」「医療機関(診療所)」以外のプレイヤーは、5割超がこうした変化が進むとみている。この構造変化により、自身の既存事業の収益にプラスの影響があると回答した中で最も多かったのは、いずれの観点でみても「大手ハイテク企業」であり、新しい事業機会が生まれるとみている割合も高かった(共に5割程度)。一方、「ビッグデータを活用した医薬品開発」に関しては、全てのプレイヤーで5割超が進展するとみている。特に、ここは「製薬企業」と「大手ハイテク企業」が共に新しい事業機会が有るとみており、両者の協業により、この構造変化は一層進展していくものと考えられる(図表8〈右〉参照)。

「オンライン(遠隔)診療・治療」については、「医療・診断機器企業」「医療機関(病院)」「医療機関(診療所)」は、2030年までに主流となる程度にまで進展すると回答したのは5割程度に留まったが、その他のプレイヤーは、製薬企業の81%を筆頭に7割前後に上った(図表7〈左〉参照)。COVID-19の影響により導入が進んだ「オンライン(遠隔)診療・治療」は、実際に診療を行う医師を除いては、加速度的に進展するとみているプレイヤーが多いことが分かる。その中でも、既存事業の収益に対してプラスに影響するとみている割合は「大手ハイテク企業」が最も多く(52%)、彼らのうち、同程度(54%)は新しい事業機会があると考えている(図表8〈左〉参照)。オンライン診療に欠かせない5Gを含む通信インフラの整備や、機密性の高い医療情報・個人情報を扱うためのサイバーセキュリティの強化、オンライン診療を契機とした病院のクラウド化への対応・進展など、「大手ハイテク企業」にとっては、さまざまな事業成長の可能性とつながる構造変化であることが分かる。

また、調査ではオンライン診療の進展に伴う新規事業として、「医療機関(病院)」および「医療・診断機器企業」は「医師の診療前のAI診断」を、「薬局」は「調剤薬局のAI化」を挙げており、診療・治療のオンライン化という変化が進む中で、診断や処方といった周辺活動においてAI化が進展すると推測できる。また、長く対面が原則とされてきた医師による診療・治療のオンライン化は、恐らく現在私たちが想像する以上の変化とさまざまな事業機会を、ヘルスケアエコシステムの関係者にもたらすことになるだろう。

「モバイルアプリ・デバイスによる治療」については、「製薬企業」「保険事業者」「大手ハイテク企業」は、変化が進み標準に近づくとみている割合が高く、いずれも7割を超えていた(図表7〈中央〉参照)。その中でも、既存事業の収益へプラスの影響があるとみている割合が最も高いのは「大手ハイテク企業」であり(52%)、また同程度(50%)が新規事業の機会もあるとみている(図表8〈中央〉参照)。「オンライン(遠隔)診療・治療」と共通である通信インフラの強化に伴う事業機会に加えて、さらにIoTを活用したデータの連携システムや専用アプリ、ソフトウェアの開発、それらをホスティングするためのIT基盤の構築など、多岐にわたるIT系の事業機会があることが伺える。

「大手ハイテク企業」に次いで、モバイルアプリ・デバイスによる治療が既存事業へプラスの影響があるとみている割合が高いのは、「医療機関(病院)」と製薬企業(37%)である(図表8〈中央〉参照)。「医療機関(病院)」や「製薬企業」にとっては、モバイルアプリやデバイスを活用することでこれまで管理が及ばなかった、在宅時をはじめとする患者の日常生活に対してもアプローチが可能になる。疾病を管理するという観点や、介入時の判断に使える情報(データ)が増えるという観点からも、プラスの要素が大きいと考えられる。また、「製薬企業」にとっては、これまでの治療薬の在り方を変えるものであり、新しい事業機会を生む変化であると44%が捉えている(図表8〈中央〉参照)。

「ビッグデータを活用した医薬品開発」については、ほぼ全てのプレイヤーの6~7割がさまざまな病気・患者のビッグデータを活用したシミュレーションにより、ヒトに投与する前に薬の有効性や副作用を精緻に予想できるような医薬品開発ができるようになるとみている(図表7〈右〉参照)。リアルワールドデータやAIの活用が進むとみている層、中でも「製薬企業」と「大手ハイテク企業」は、既存事業の収益に「プラスに影響する」とみている割合、「新しい事業機会がある」と見ている割合がともに比較的高い(図表8〈右〉参照)。「大手ハイテク企業」にとっては、大規模データを蓄積し活用するデータウェアハウスやクラウドベースのプラットフォーム事業の進展を後押しする変化であり、さらにデータの個人向け・法人向け分析や、ビッグデータを活用した効率的な臨床試験の在り方を望む声もあった。


本調査結果から、2030年までにヘルスケアエコシステムにおいて、「治療から予防へ」の流れが強まることが予想される。その中で、治療に主軸を置いていた「製薬企業」や「医療機関(病院)」といったプレイヤーが、徐々に予防事業へと参入し、新しい事業を展開していくことが考えられる。また、治療の場も次第に患者の日常生活へと近づいていき、それに伴い、提供するサービスの個別化が進み、予防とともに個々の患者のQOLの向上が図れるようになるだろう。それらの変化の前提として、デジタルヘルスの進展、すなわち大規模な個人の健康・医療情報(データ)の蓄積、共有と活用が進むことがあり、その点において、特に「大手ハイテク企業」の担う役割と事業機会は大きいと言える。逆の言い方をすれば、こうしたヘルスケアエコシステムの構造変化の潮流を的確に予測し、自らの事業モデルを進化させることができない、もしくは潮流を阻害するプレイヤーは、「新たな価値プール」での勝機を逸することになるとも言える。

エコシステムの形成・変化に伴い、業界全体のビジネスモデルや競争環境が抜本的に変化した例として、自動車業界における現状と展望、その中で特に伝統的に主要プレイヤーであった自動車メーカーに求められるビジネスモデル変革の方向性を理解することは、今後ヘルスケアエコシステムにおける事業環境がどう変化していくかを考える上で示唆を得ることができる。次章では自動車業界の新潮流として「CASE」がもたらすエコシステムの変化について考察する。

※レポート内に掲載されている執筆者および監訳者の所属・肩書は、レポート執筆・監訳時のものです。

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石毛 清貴

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北川 友彦

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鮭延 万里子

鮭延 万里子

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