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第1章の冒頭でヘルスケアエコシステムとは「患者・未病者の健康に関わるステークホルダー(利害関係者)が相互にダイナミックに織りなすエコシステム(生態系)」と定義した。別の言い方をすれば、健常人の健康管理や予防、患者の治療・重症化予防に関わる商品・サービスを直接・間接的に提供することによって価値を生み出すプレイヤー(製薬企業、医療・診断機器企業、医療機関、健康サービス企業など)と、そうした商品やサービスに価値を見いだして対価を払うプレイヤー(健常人や患者当事者に加えて、そうした人々の健康改善が収益改善につながる民間保険会社、自治体、健康保険組合など)との間での利害関係が一致してはじめて、エコシステムが成立すると言える。また「ダイナミックに織りなす」という表現からも言えるように、こうした利害関係は複雑に絡み合い、また日々変化を遂げながら進化していく。
こうした中でエコシステムの各プレイヤーは、既存の事業を超えてどのような価値創造の機会を追求していくべきであろうか。以下、主要プレイヤーそれぞれがエコシステムに積極的に参加する意義と新たな価値創造の方向性についてまとめる。
「Beyond the Pill」は、製薬業界において中長期戦略を考える上で重要なキーワードの1つである。業界を取り巻く大きな環境変化の中で、製薬企業はこれまでの「薬を作って売るビジネス」に加えて、新たな価値創造の在り方を模索すべきでないか、という戦略的な方向性の1つを示す言葉である。自動車業界におけるスマイルカーブを使った戦略オプションの議論の中で「ブランド価値の高い自動車を作る小規模メーカー」の例を挙げたように、製薬企業の今後の戦略として、革新的な新薬の開発に資源を集中し、製薬企業として「薬を作って売る」ビジネスを極めることで差別化を図ることも戦略オプションの1つとなる。ただ2章でも考察した通り、多くの製薬企業が治療のための薬の開発から予防やデジタルヘルスに事業機会を見いだしていることからも、Beyond the Pillが重要な戦略の方向性の1つであることは間違いない。
こうしたBeyond the Pillによる新しい価値の創造の仕方は、目的によってアプローチが異なる。1つ目は、あくまでコア事業である薬の売り上げの最大化や自社のブランド価値の向上(最終的には薬の売り上げの最大化に貢献することを想定して)を目指すための取り組みである。例えば患者支援プログラムの提供や地域医療連携推進を支援する取り組みなどがそれに該当する。2つ目は、既存事業とのシナジーまたは独立した新たな収益の確保を目指して新規事業に取り組むケースである。その中には自社が得意とする疾患領域におけるエコシステムプラットフォームを構築して、他社との連携を通じて新たな価値を創出し収益化を目指すモデルもあれば、自社に独立部門を設置し、既存事業とのシナジーに捉われず患者のアンメットニーズを解決できるソリューション開発やベンチャーなどへの投資を行うモデルも存在する。
診断や治療において直接患者と接点を持つ製品と付随するサービスを提供している医療・診断機器企業にとって、ヘルスケアを取り巻く環境変化によって、特に3つの新たな価値創造の機会が見えてくる。
1つ目は治療から予防へとシフトし、患者による健康管理が日常生活に組み入れられる中で、より日常生活に組み込みやすい治療・診断デバイスを開発・提供することで新たな価値を創出できるということである。低侵襲的なウエアラブル機器、簡易的な自己健康管理・診断ツールなどが当てはまる。こうした例はあくまで既存の製品・サービスポートフォリオの拡充を通じた価値創造となる。
2つ目はデバイスから得られるデータなどを活用して患者アウトカムの向上に寄与するサービスで、デバイスの販売に加えて、アウトカム向上の結果の対価として収益獲得を目指すモデルである。自社提供のデバイスによるバイタルデータの測定管理を通じて、メタボ従業員向けの特定保険指導サービスを提供したり、自社提供のIoT機器を用いて要介護者の急性疾患予防対策サービスを提供したりする事例がこれに該当する。次に述べる3つ目のモデルと比較して、価値の提供者と受益者の関係がシンプルで明確であることが特徴である。
そして3つ目はより広範に複数のエコシステムプレイヤーとの連携を図り、自社のデバイス、サービス、クラウドベースのデータプラットフォームなどを活用して一連のヘルスケアプロセス全体を最適化し、患者アウトカムの向上を図るモデルである。医療・診断機器メーカーの強みであるエコシステムの各プレイヤーとの接続を可能にする機器、収集されるデータ、それらを管理・解析するための基盤などのアセットを最大限活用した価値創造アプロ―チと言える。
薬局にとってのエコシステムにおける新たな価値創造の主な源泉は、薬やその他の商品を購入するために訪れる顧客との接点、薬剤師の存在、そしてデータである。
既に薬局を訪問する顧客に対して薬以外の健康関連商品、化粧品、日常生活品のクロスセルが行われているが、患者に直接接点を持ちたい企業(健康サービス提供企業、製薬企業など)が提供する商品やサービスを紹介して紹介料を獲得する形で、顧客接点を生かした価値創造は行われている。
上記の例が、顧客1人当たりの売り上げ増加につながる施策だとすると、一方でエコシステムのその他プレイヤーとの連携を通じて集客力の向上を図ることもできる。例えば、今後導入が予定されている電子処方箋を介して医療機関と連携を強化したり、他社が健康管理・医療関連サービスを提供するアプリ上で、かかりつけ薬局として登録を促したり、自社が提供するe電子手帳にヘルスデータを集約して包括的な健康管理ツールとして提供することで、顧客の囲いこみや新規獲得を目指すことができる。
また処方履歴に加えて、薬局で測定する、または顧客が提供するヘルス関連情報(定期健診データなど)を見ながら、付加価値のある健康管理相談サービスを提供することで、調剤報酬の付かない健康サポート薬局の枠組みを超えて新たな収益源を確保する動きも今後出てくるであろう。
医療機関にとっては、目の前の患者により良い医療を提供し、病気を治療することが何よりも重要である。医業経営という観点ではできるだけ多くの患者を診ることで医業収入を上げることができることから、医療の質の維持または改善を図りつつ、生産性を高め、限られた時間で多くの患者を診ることができるのが望ましい。特に短時間の外来診療時間では得ることが難しい患者に関する日々の行動・バイタルデータにアクセスできることは、医師やその他の医療従事者にとって的確な診断と治療方針を限られた時間で行う上で有用性が高い。そのため患者が利用するヘルスデータ管理プラットフォームと連携させたダッシュボードを活用する事例が増えてきている。
また医療機関に蓄積する患者データは価値を生み出す。エコシステムのその他プレイヤー、例えば製薬企業やデータプラットフォーマーと連携し、データを匿名化、標準化して集積、分析を加えることで新しい治療法の発見や新薬の創出、患者サービスの開発に繋げることができ、新たな価値を創出することができる。こうしたデータを最終的に利活用する企業からの収益を原資に、医療機関は適正なマージンを上乗せして匿名化されたデータ提供することで新たな価値想像が可能となる。
このプレイヤー群には健康に関わる商品やサービスを提供する企業全般、例えば健康食品、健康グッズ、健康管理・フィットネスサービスを提供する企業などが含まれる。エコシステムの形成・進化の中で、各社は個別に顧客に対して商品・サービスを提供している既存事業を超えて、商品・サービスの開発力、顧客ベースやブランドを活用し、エコシステムのプレイヤーと組んで新たな価値創造の在り方を模索している。製薬企業の例でも挙げた通り、こうした価値創造の在り方には、既存の製品・サービスの売り上げ向上に主眼を置いたもの(例えば健康食品・飲料メーカーが健康保険組合に健康管理アプリを提供し、その中で自社製品を宣伝し売り上げを見込むもの)と、新規事業として新たな収入を見込むもの(例えばフィットネスクラブによる企業の健康経営支援事業への参入)が有り得る。
いずれのケースにおいても、顧客と強固な接点を持つエコシステムのプラットフォーマー(どの業種でもプラットフォーマーになれる可能性がある)と連携、もしくは自らがプラットフォーマーの役割を担うことで、これまでリーチできなかった顧客に自社の既存・新規商品やサービスを提供できる可能性を模索できる。
このプレイヤー群には、民間保険会社、自治体、健康保険組合など、保険料を徴収しそれを原資に医療費を負担する組織全般が含まれる。いずれにおいても被保険者の健康状態が改善し医療費負担が低減されることが望ましい。そのためエコシステムのその他プレイヤーと連携しながら対象となる被保険者に健康改善を促す商品・サービス・プログラムを提供する取り組みが広がっている。民間の生命保険会社が健康増進型保険を開発し、エコシステムの他のプレイヤー(ウエアラブル機器メーカー、フィットネスクラブ、スポーツ用品メーカーなど)と提携し病気や死亡リスクを低減するための健康改善プログラムを被保険者に提供することで、支払保険金の縮減を図る取り組みはその一例である。
一方これらの保険者は医療費の削減がそのまま収益改善につながるため、エコシステムにおいて医療費削減につながる新たな価値創造のための製品やサービスのコストの担い手としても重要な役割を担う。そうした中で、製品・サービスの提供のタイミングと、医療費削減のインパクト創出にはタイムラグが発生すること、実際の医療費削減額を事前に正確に予測することができないことから、そうした製品・サービスの対価を保険者が負担することを合意することが難しいという課題が存在する。その解決のためには成功報酬型の契約(医療費削減の結果が見えてから支払う)や、高精度の健康シミュレーション予測を可能にするツールを使って支払額を事前に合意するなどの取り組みが検討されている。
前述の通り大手ハイテク企業がエコシステムの構造変化の最も重要な推進者になることが予想される。米大手IT企業などはそれぞれヘルスケア領域においてさまざまな形で事業拡大を進めている。顧客接点とそこから得られるデータ、テクノロジーなどさまざまな強みを生かし新たな健康管理サービスを提供するプラットフォーマーとしての価値創造を今後さらに追求していくことになるであろう。
大手通信事業者も自社の幅広い顧客基盤、モバイルアプリなどを活用した健康管理サービスを個人ユーザーに提供し、顧客基盤のさらなる拡大・囲い込みを図るとともに、個人向けに一部有料のサービス提供、法人向けのサービス展開を通じてさらなる価値創造を目指している。
またエコシステムにおける価値創造の基盤となるデータ収集・解析プラットフォームの構築においても大手ハイテク企業が重要な役割を担うことになるだろう。そうしたプラットフォームが期待される価値を生み出すためには、データ提供者となる消費者、医療機関、製薬企業などその他のエコシステムプレイヤーとどのように連携し、さまざまな目的に応じて価値のあるデータを分析可能な状態で集積できるかが大きな課題となる。
これまで述べてきた既存の主要プレイヤーに加え、ヘルスケアエコシステムにおける「新たな価値プール」からの利益の獲得を目指し、新興企業が参入してしのぎを削っている。参入の仕方、価値創造の仕方は各社さまざまではあるが、その多くはアプリやデータを活用した破壊的な事業モデルをアジャイルに開発し、早期に市場参入・浸透することでエコシステムの中で存在価値を発揮し、既存プレイヤーとの連携を強める動きを活発化させている。こうしたベンチャー企業がさらなる成長を遂げるか、もしくは淘汰されるかは事業モデルの強固さ次第であろう。
こうした中でエコシステムの各プレイヤーは、既存の事業を超えてどのような価値創造の機会を追求していくべきであろうか。以下、主要プレイヤーそれぞれがエコシステムに積極的に参加する意義と新たな価値創造の方向性についてまとめる。
これまで述べてきた通り、エコシステムにおける各プレイヤーは新たな価値創造を目指して、さまざまな連携を通じた新規事業を展開している。そうした事業を成功させるために最も重要な問いは、「誰からどのように収益を上げるか」ということである。繰り返しになるが、エコシステムとは「患者・未病者の健康に関わるステークホルダー(利害関係者)が相互にダイナミックに織りなすエコシステム(生態系)」であり、利害が一致してはじめて成立するものである。つまり金銭的・非金銭的なメリット(ブランド価値の向上、エコシステム参加により得られ本業で価値を創出する有形・無形資産の獲得など)がない限り、エコシステムへ参加するために時間とお金を使うことは事業の継続性という観点から意味をなさない。
では、エコシステムにおいて新たに創出される価値に対してお金を払うのは誰か。最終的にはこのエコシステムにおけるダイナミックな活動によって健康改善を実現して便益(現在および将来の医療費削減、労働生産性改善など)を得ることができる消費者または保険者であると言える。ただし、こうした便益が提供できるエコシステムを形成するためには、各プレイヤーの利害関係を一致させ、それぞれ便益を得られるようにインセンティブの調整を行う必要であり、参加するプレイヤー数が増えれば増えるほどその難易度が上がる。その際に重要になるのが後述するエコシステム全体のデザインを主導する「バリューチェーンインテグレーター」の存在である。
1つの例としてPwCが米国でバリューチェーンインテグレーターの役割を後方支援したプロジェクト、「Project DOC(Diabetes and Obesity Control)」について紹介しよう。
テキサス州のRio Grande Valley( RGV)は貧困地域で保険加入者が少ない中で、糖尿病と肥満が深刻な問題となっていた。この問題を解決するためにThe University of Texas System (以下、UTSystem)が中心となりPwCの支援の下でエコシステムを形成し、コミュニティー全体の取り組みとして糖尿病・肥満の患者やその予備群に対する包括ケアシステムを構築した。このエコシステムには、UT System、PwCに加え、コミュニティーの病院、クリニック、糖尿病肥満改善プログラムを運営する非営利法人、マネージドケア提供企業(保険者)、薬局、製薬企業、医療機器メーカー、大手小売チェーン、テクノロジー企業、公衆衛生研究機関、医療アクセス改善への取り組みに資金提供する基金など多岐にわたるプレイヤーが参加している。
こうしたエコシステムのプレイヤーが連携しながら、十分な医療サービスを受けられない糖尿病、肥満を抱える患者および潜在患者に対して、包括的な支援プログラムを提供している。その具体的な内容は図表2の通りである。
このエコシステムが期待通りに機能するためには、前述の通りプレイヤー間の利害関係が一致し、持続可能な連携ができることが必要不可欠である。言い換えれば、エコシステムの共通のゴールである糖尿病・肥満のコントロール、医療費の削減に賛同し、参加することによる金銭的、非金銭的なベネフィットが得られることが必要である。各プレイヤーにとっての主なベネフィットは以下の通りである。
これらの金銭的・非金銭的インセンティブをプレイヤー間で調整するために、それぞれがどれだけの資金や商品・サービスをプログラムに提供し、どれだけの収入を得るかといった詳細条件を契約の中で詰めていく作業が求められる。100ページを超える契約書の締結作業を「バリューチェーンインテグレーター」としてのUT Systemを支援する形でPwCが実施した。
このProject DOCの例は多数のステークホルダーを巻き込んだ大規模な取り組みであるが、さまざまなエコシステムの連携の在り方の一例に過ぎずない。関与するプレイヤー数、利害関係の一致のさせ方などには多くのパターンが存在する。ただ1つ言えることはエコシステム全体の利害関係を一致させるための包括的な設計を行う主導者=バリューチェーンインテグレーター(必ずしも1組織に限らず複数組織によるパートナーシップも有り得る)が必要であるということである。その中で各プレイヤーは、エコシステムにおいてどのような価値創造を目指すのか、それぞれが参入モデルを決め、それに応じた組織モデルの設計・見直し、ケイパビリティの開発・強化が求められる。
最終章ではこうした参入モデルを類型化した上で、エコシステムにおいて新たな価値創造を実現するために求められる企業変革の方向性について提言する。
※レポート内に掲載されている執筆者および監訳者の所属・肩書は、レポート執筆・監訳時のものです。